茨城県から大阪へ。
小学校の3年生の終わりごろから3年間過ごした茨城県つくば市。
年齢も2桁になって、少しだけお子ちゃまから少年になりましたドラムスコ。
その境目で精神が少しずつ締め付けられていることに、この時の僕はまだ気づいていません。
でも。それは確実に僕のところに忍び寄ってきていました。
初めて踏み入れる大阪の地。
おばあちゃんの家が大阪なので初めてではありません。(#なんでゆーたん)
引越しもかれこれ3回目なので、手馴れたものです。#実際は母がほとんどやっていたのでほぼ何もしておりません
が。しかし。
今回はこれまでみたいに「転校生」の儀式がありません。
転校生の儀式とは。
教室の前でみんなに紹介される「アレ」です。
アレがあると多少特別扱いされるし、視聴率も集まるので話しかけられやすいのですが、中学校に入学と同時に大阪に来たので、全員が同じスタートラインです。
これがホントにきつかったのです。
なんせ、友達がひとりもいません。
中学に入学するにあたって、クラス分けをするための試験みたいなものがあって、それを受けるために学校に行かなければなりません。
僕が入った中学校は3つの小学校から生徒が集まっていたのですが、各小学校ごとに30人ぐらいで別々の教室に入れられて、テストを受けました。
この時、僕みたいな転校生が20人ぐらいはいて、ひとつの教室に集められて試験を受けていました。
他の教室は各小学校がたぶんクラスごとに分けられてるのでしょう。
ザワザワザワザワしていてすごく賑やかな雰囲気です。
僕がいた教室は全員転校生なので、お互い面識があるはずもなく、一部ではなんかしゃべったりしてた人もいますが、基本腹の探り合いなので、盛り上がってるというわけではなく。
すごい雰囲気で、正直早く帰りたかったです。
そんな中、僕の後ろの席に座っていた後藤くん(仮名)が話しかけてくれて、少しだけ和みました。
その日は後藤くんと一緒に過ごして、ちょっとだけ仲良くなり、入学式でまた会うのが楽しみになりました。これで僕の中学校生活もなんとかなるかとひと安心。
しかしそれもつかの間。
後藤くんとはクラスが別々になってしまいました。
自分のクラスに行き、当然友達などいるはずもなく、完全に孤独です。
助けを求めようと後藤くんのクラスに行ったものの、すでに彼のまわりにはたくさん友達がいて、うかつに手が出せる状態ではなかったので、すごすご帰っていきました。
しかも引っ越してきたばっかりで、まだ関西弁に慣れていなかったので、より一層孤独感に苛まれていました。
標準語に慣れると、大阪弁って温かくもあるのですが、ちょっと怖くもあるのです。
しかもこの入学前の2週間ぐらい、気管支喘息みたいな症状が出てすごく息がしづらくて苦しかったのを覚えています。
今までそんな症状出たことなかったので、おそらく精神的なところに原因があったのでしょう。
相当追い詰められていたんです。笑
この時の僕の唯一の支えになったのがバスケットボールでした。
小学校で満足にできなかったバスケを、ようやく思いっきりできる。
それが楽しみでしかたなかったのです。
それがなかったら僕は間違いなく非行の道へ走っていたことでしょう。
いや、どうだろう、、、
その頃は親にビビりまくってたからそんなことすらできずにモゴモゴして生きてたんだろうなーと。
バスケ様様です。
とはいえ。
実力はたぶんあったと思うのですが、精神的にかなり追い詰められてた僕は、満足にパフォーマンスを発揮することができません。
その上。
部活を始めて半年ほど経ったころ、急激に身長が伸び始めて、ヒザが悲鳴を上げてきやがりました。
オスグッドという成長痛みたいなもので、走ったり跳んだりすると、立ってられないぐらいの激痛が走ります。
それが原因で、半年以上満足にバスケができなくなりました。
でも、部活を休むことはしたくなかったので、毎日見学です。
これはホントにツラかった。
ヤル気だけは絶対誰にも負けない自信があったのに。
何も出来ない自分が悔しいやら情けないやら。
それでも負けたくなかったから。
絶対試合に出てやる!って思ってたから、なんとか頑張れました。
せっかく鼻息荒くして意気込んで入ったバスケ部なのに、まさかこんなところでつまづくなんて思ってもみませんでした。
ちなみに。
この時、僕の父は僕のバスケ人生をあきらめたそうです。笑
早くね?笑
それでも。
そのケガを乗り越えて。
あきらめずに頑張ったらレギュラーなりました。
この時の監督が僕のバスケの大恩人です。
2年生の時、ケガから復活したあたりで赴任してきた先生で、僕を見出してくれて、厳しく指導してくれて、レギュラーに抜擢してくれました。
でも、その監督は僕らの代が3年になる手前で亡くなってしまいました。
もう、すごい喪失感で。
代わりの監督はバスケ素人なので、あまり燃えたぎるものもなく。
意思を引き継いでくれたのか、僕をレギュラーで使ってくれてはいましたが、そもそも僕のメンタルはこの時、恩人を亡くした喪失感と、もうひとつの原因とで限界を迎えていたんだと思います。
その6へ続く。
⇒その6
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