ドラムスコ少年記です。
細かい生い立ちのお話です。
なので少し長い話になります。
興味があれば時間がある時に読んでください。
イジメられたり、心を閉ざしたり、ちょっと人の道を外したり、離婚2回したりと、なんかいろいろございました。
ワタクシドラムスコは兵庫県の宝塚市で産声を上げました。
宝塚といえば宝塚歌劇団が有名です。
他にも生まれ育った場所から歩いていけるところに阪神競馬場があったりと、有名な場所がたくさんあります。
それをね。
大人になって知って、ちょっと嬉しくなりました。
僕が生まれた所は下町の方だったのですが、少し離れたところには高級住宅街があります。
すげえな宝塚。
下町の方だったので、ご近所さんとはすごく仲が良くて、となりに住むおっちゃんおばちゃんに怒られたり、どつかれたり、そんなことは日常茶飯事でした。
でもその反面、めちゃくちゃ優しくて、近所のみんなが家族みたいに接してくれてて、すごく温かい場所でした。
そんな中で育った僕は、超自由奔放な子どもでした。
近所に住んでたひとつ年上のKくんと、毎日川に行って魚とかザリガニをとったり、そのへんの草むらとか森に行って虫をとったり、ウシガエルとって食べたり。笑
いろんなことを教えてくれたKくんのことが僕は大好きでした。
Kくんが小学校に上がると、一緒に遊ぶ時間も減ってしまって、僕はKくんに教えてもらった遊びをひとりでやるようになっていました。
友達に遊びに誘われてもテキトーな理由つけて断ってひとりで虫取りに行ったりする始末。
ひとり遊びが好きだったわけではありません、
気の合う、というか僕の虫取りとか川に行ったりとかを理解してくれる友達がいなかっただけです。
ムリヤリ付き合わすのもなんかヤダなーってなって。
何よりも、ふたりで行ってるのに、ひとりだけで盛り上がっても寂しいだけなので、それならハナからひとりで行った方がいいや、ってなりました。
ドラムスコは、そんなふうに自然と戯れるのが大好きな幼少期をすごしていました。
中でもいちばん好きだったのは「カマキリ」で、しょっちゅう捕まえては、虫カゴに入れて飼っていました。
そして他の虫(バッタとかトンボとか蝶とかコオロギとか)を捕まえてきて、食べるところをマジマジと観察していました。
これを人に話すとだいたい「キモっ!」と、ドン引きされます。
マジマジと観察していたので、なんとなくそいつが何を考えてるのかがわかった気がしています。
#気がしてるだけかもしれん
カマキリってね。すごいんですよ。
何がすごいってね。
秋になると成虫になります。
メスの方が体が大きいので、オスがメスの上に乗っかって交尾するんです。
カマキリにとっては動くものすべてが捕食対象で、同じカマキリのオスも例外ではありません。
どのみち、オスは交尾を終えると力尽きて死んでしまうのですが、中には交尾の途中で捕まって食べられてしまうオスもいます。
それでも頭だけ食べられたり、お腹から上だけを食べられたり、なこともあるので、その時は下半身だけは残っていて、そのまま下半身だけで交尾を続けるツワモノです。
そんなカマキリの面白エピソードがありまして。
そんなこんなで、虫カゴに卵を産み付けていました。
カマキリの卵は卵嚢と言われる袋みたいなものの中に200〜300個ぐらい卵が入っています。
それが春になると、いっせーので、で全部孵化します。
僕が学校に行っている時間の出来事だったので、家にいた母親が発狂しそうになっていました。
曰く、「よっぽど掃除機で吸うたろかと思った」とのこと。
でもさすがにそれは…、と思ってくれたみたいで1匹1匹手で捕まえて虫カゴに戻したと。
この話はいまだに我が家では会う度にその話が出るほど強烈なインパクトを残してくれました。
…とまあ。
そんな感じで、友達と遊ぶことよりも、ひとりで自然と戯れる方が好きなチビッ子でした。
それともうひとつ。
オタク気質は小さい頃からあったみたいで、絵を描いたり、何かものを作ったりするのが好き、という一面も持っていました。
親がなかなかファミコンを買ってくれなくて、どうしても「家にファミコンがある」という状態にしたかったのか、自分で画用紙でファミコンを作っていました。
絵を描くのも相当好きで、将来はマンガ家になりたいと思っていたほど。
影響を受けたのはドラゴンボールとドラえもん。
生まれて初めて描いた絵がドラえもんってぐらい、ドラえもんが好きで、ドラえもんで育ったと言っても過言ではありません。
同じぐらい好きだったのがドラゴンボール。
この2作品はホントによく描いてました。
それが幼稚園ぐらいまでのお話。
ドラムスコ少年期その2に続く。
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