ドラムスコ少年記その4

小4の終わりごろ受けていたプチイジメは、時とともに自然消滅していき、5年生になった瞬間どっかいってました。

エスカレートすることなく終わってよかったのはよかったのですが、言葉も違い、文化も違う関東での生活にようやく慣れてきた頃の出来事だったので、精神的なダメージはわりとデカかった模様です。

よくよく考えてみると、つくば市に来てから1年足らずの出来事です。

その間、ほとんど虫とか魚とか取りに行ったりしていませんでした。

っていうのも。

そんな余裕がまったくなかったのです。

それまでは、なんだかんだ「そばに友達がいる」っていう安心感があったから、そんな自由奔放なことができてたんですね。

でも。そんなこと当時は考えてもなくて。

つくば市に行ったとたん、完全にアウェイになって、ホントに誰もまわりにいない、という現実を突きつけられまして。

そしたら急にひとりが怖くなって、必死に友達を作ろうとした次第でございます。

ゼロから友達を作るっていうのは、なかなか至難の業でございまして。

つくば市に行ったのは3年生の終わりごろ。

3年生といえばいろいろ考えれるお年頃です。

すでにいくつかグループみたいなのが出来上がってしまっております。

どこに入るねん??

そもそも入れてもらえるのかしら?

そんな不安ばっかりが頭の中を駆け巡ります。

宝塚にいたころは、幼稚園からずっと一緒だったので、そんなこと考えたこともなく。

ひとりがこんなに怖いものなんだって、生まれて初めて知った9歳の夜。

なんとなく馴染めてきたと思った矢先のプチイジメ。

この頃から、僕の心は少しずつ扉を閉めていきます。

人間って怖いなぁって、なんとなく思い始めたのですが、その感情が露わになるのはもう少し後のお話。

とりあえず5年生になったぐらいで夢中になれるものと出会えたので、それにのめり込むことでなんとか精神は安定していたように思います。

てゆーか。

そんな弱い自分を見せたくなくて必死に隠そうとしてたんだと思います。

だからのめり込むしかなかった。

たぶんそんな感じ。

のめり込んだのはバスケットボール。

まわりのみんながやってたサッカーはまったく面白くなく。

練習中にグランドにあったバスケットゴールで遊んでたら思いのほか楽しくて、そのままのめり込んでいきました。

それもそのはずで、僕がまだ小さい頃に父親のバスケットボールに何度かついていった事があって、そのプレイする姿を目の当たりしておりました。

父は学生の時に県でベスト12に選ばれるぐらいの選手だったので、相当な手練です。

その血を引いてるのか、僕もバスケはうまくなりまして。

あんまりバスケ人口いなかったですが、とりあえず学校でいちばんうまくなりました。

それもあってのめり込めたんだなーと。

夢中になれるものがあると、人は変われるんだなーと思います。

それからというもの、頭の中は四六時中バスケのことばかり。

それがきっかけで友達も増えて、また楽しい生活を送れるようになりました。

しばらく行けなかった虫取りも行くようになり、だいぶ精神が安定してました。

そんな中。

とある漫画を読んだのがきっかけで、絵を描きたいという想いがふつふつとわいてきて、マンガを描きはじめました。

ストーリーも考えて31ページぐらいのマンガを描いて、週刊少年ジャンプに投稿してみました。

結果は撃沈でした。

この撃沈で心が折れてしまい、ここからしばらく絵を描くことから離れます。

バスケに集中しようと心に決めたのでした。

当時その小学校にはミニバスのチームがあったのはあったのですが、監督、コーチ含め、女子だけのチームだったのです。

友達と2人で相談して、そのチームに乗り込んでやろうと企みました。

とりあえず監督に「試合には出れなくてもいいから、練習だけでも参加させてほしい」と頼み込みました。

すると、監督は快く受け入れてくれて、僕たち2人は飛び上がって喜んでました。

体育館でバスケができる!、と。

この時の行動力と心意気は今考えても素晴らしいなーと自分で思います。

女子だけのチームにムリやり入れてもらうという。

そういう、誰がなんと言おうと関係なくやり通そうとする根性はこの頃から持ち合わせていたようです。

この根性は、人生のいろんなところで役に立ちますが、時にはいろんな人を傷つけてしまう諸刃の剣になることをこの時の僕はまだ知りません。

気がつけば、バスケをする仲間も増えて、学校の休み時間には10人ほど集まって試合じみたものができるほどに、みんなの関心が集まっていました。

そんな感じでバスケ一色の生活を送っていたら、すっかり「バスケ野郎」として定着しました。

このまま中学校に上がって、バスケ部に入れば、僕の人生はすこぶる楽しいものになることは間違いない。

そんなふうに思っていました。

ところが。

また例の2文字が僕を襲いにやってきました。

「転校」

です。

 

どうやらそんなにうまくいかないのが僕の人生のようです。笑

今度はまた関西に戻る模様。

小学校を卒業してから今度は大阪府にお引越しです。

しかも、この転校は最初から3年間って決まってたみたいで、親からすると「だから言ったやん」とのこと。

だから単身赴任で行くと言ってたのか、と。

今さらジタバタしても何も始まりません。

現実を受け入れて前に進むしか。

正直、この転校が人生でいちばんツラい転校でした。

なんだかんだ、親友と呼べるほどの仲良しの友達ができたし、バスケに目覚めてのめり込めたし、生まれて初めての彼女ができたし。

 

とは言っても、向こうから積極的なアプローチがあったものの、僕はこの時男女交際なんてサッパリわかってなかったので、言われるがままでした。笑

しかもつき合うってなったのが転校の2ヶ月前のバレンタインデー。

初めての彼女が遠距離恋愛という、まあまあなハチャメチャっぷり。

何よりもツラかったのは、中学の入学説明会に参加させられたこと。

もらった資料には入学してからの流れとかなんかいっぱい書いてあって、なんかすごく楽しそうだなーと。

でも僕はそこには行けません。

行けないのになぜ説明会に参加しないといけないんた。

こんなのツラいだけじゃないか。

そんなことをボヤいていてもその時は刻一刻と近づいております。

桜の花が舞い散る卒業式、こんなにも桜の花が悲しく見えたのは後にも先にもこの時だけ。

桜の花言葉は「精神の美」とか「優美」とか「あなたに微笑む」とか。

実は悲しい意味の花言葉があるんじゃないかと思って調べてみたところ、特にそんな意味もなく。

こうして小学校生活は茨城県つくば市で幕を閉じ、大阪で新たな生活が幕を明けます。

それか地獄への入口だということを知るのはもうちょっと先の話。

その5へ続く

その5

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