ドラムスコ少年記その3

初めての転校で異国の地に足を踏み入れた僕は、担任の先生のおかげですぐに馴染むことができました。

学校の不安がなくなった僕は、相変わらず魚とか虫を追いかける生活を満喫していました。

 

友達もたくさんできて、その影響で少林寺拳法を始めました。その少林寺拳法を一緒にやってたKくんがいちばんの仲良しです。

 

そしていちばん血の気の多かったのもこの時期です。

 

とにかくケンカっ早くて、上級生だろうがなんだろうがケンカ売ってました。

そして即座に返り討ちに合ってました。

 

少林寺拳法を習ってた影響ですね。

 

そして、ケンカなんて無意味だと悟ったのもこの時期です。

 

なんだかんだ楽しく過ごして、1年が経とうかという頃。

 

僕の耳にイヤな2文字が飛び込んできました。

 

「転校」

 

 

です。

 

また???

しかも今度は茨城県つくば市というところらしく。

 

茨城県ってどこやねん???

 

関東地方だということだけは理解できました。

 

今度はどうやら父親の転勤だそうです。

僕は全然記憶にないのですが、当初、父は単身赴任で行こうと思っていたみたいです。

その話を家族にしたところ、子どもたち(僕と妹2人)が猛反対。家族が離ればなれになるのはイヤだと激しく訴えたことから、しぶしぶ一緒に行くことにしたそうな。

 

せっかく伊丹市の生活にも慣れてきて、友達もできて、すごく仲良くなれたのになぁ。

 

…とか思ってたけど、それがまさか自分で選んだ道だったなんて。笑

 

 

兵庫県から茨城県への道のりは果てしなく長く、車でおよそ半日。12時間ぐらいかけてようやくたどり着きました。

 

その間に富士山見たりとかなんかいろいろしたんだと思いますが、ほぼほぼ記憶にございません。

 

初めて足を踏み入れた関東の地。

てゆーか関西を出たのも初めて…と思ったけど、よく考えたら毎年盆暮れには鳥取のじいちゃん家に行ってたので、関西は何回も出ていました。笑

 

東の方に行ったのが初めてでした。

 

つくば市というところは、自然が多くて空気もキレイで、「ド田舎」な所でした。

喘息だった妹がすっかり良くなったぐらいなので、相当空気がキレイだったのでしょう。

 

そんなことよりも。

 

僕はまた「転校生」になってしまいました。

 

とはいうものの、伊丹市の小学校に転校した時のあの温かい感じが脳裏に焼き付いていたので、転校ってあんなにも温かいものなんだ、っていう安心感があったので、今回はそんなに不安を感じることなく新しい小学校に向かいました。

 

ところがどっこい。

 

ここが異国の地、関東地方だということが頭からスッポリ抜けていた僕に、洗礼を浴びさせられました。

 

まず、言葉が違う。

 

テレビで見ていたとはいえ、実際に体感するのは初めて。西の方の言葉しかしゃべったことがない僕にとっては、まずこの言葉の壁が大きく立ち塞がりました。

 

同じ日本語のハズなのに、どうしてこんなにも異文化に触れたような感覚に陥るのか。

 

そんな衝撃の中、僕のつくば市での生活がさらに不安にさらされる出来事が起こりました。

 

転校生が来た時のアレです。

 

伊丹市に行った時は先生の素晴らしい配慮により、みんなが温かく迎え入れてくれて、すぐに馴染めたのですが、今回はそんな生優しいものではありませんでした。

 

転校生の僕を紹介するのもすごく冷たくて、クラスのみんなも特に喜ぶといったことはなく、淡々と進められた感じ。

 

前回が前回だっただけに、この事件は後の僕の人生に多大な影響を与えることになるほど、衝撃的でした。

 

「人ってこんなに冷たいもんやったっけ?」

 

明確にそんなことを考えていたわけではありませんが、たぶんそんなニュアンスのことを頭の中で自問自答していたような気がします。

 

それでも。

 

ただでさえ転校生でアウェイ感ハンパない上に、言葉の壁というハンデがあるこの状況は非常にマズイと思ったのでしょう。

 

自分の生活スタイルである、「自然と戯れる」をとりあえず一旦捨てて、なんとかして仲間に入ろうと必死でした。

 

そのために別に好きでもなんでもないサッカーをやり始めるという、愚行に出ました。

つくば市は鹿島アントラーズの本拠地である鹿島が近くにあったので、みんなサッカー大好き。

 

ちょっとでも話題についていこうと、やり始めたサッカーでしたが、そもそも好きでもなんでもないスポーツなので、上手くなるはずもなく。

 

上手くならないから試合にも出れなくて、ますます面白くなくなる、という悪循環。

 

サッカーは上手くなれなかったですが、時間とともに少しずつ言葉の壁も乗り越えて、やがて標準語をしゃべるようになって、みんなの輪の中に入れるようになっていきました。

 

子どもの適応力ってすごい。

 

馴染めてきたなーと思っていた矢先、ちょっとしたイジメ的なことを受けて、僕の心に深く傷がついたのが小4の終わりごろ。

 

この頃から少しずつ僕の心は閉じていくことになるのですが、それに気づくのは10年以上先のお話。

 

その4へ続く

その4

コメント

タイトルとURLをコピーしました